【タキブロ+】多年度生座談会(前編)
読者のみなさん、こんにちは。
毎朝投稿のブログとは別に、お昼の時間にお届けする特別企画「タキブロ+」
(「タキブロ+」って何?と思われた方はこちらもご確認ください!)
今回の座談会企画は、多年度受験生座談会です。多年度生の定義は何か?と言うと諸説ありますが、ここでは1次試験合格後に2次試験に2回失敗してまた、1次試験へ戻ってきた受験生としています。
今回は非常に強力な多年度受験生が4名集まりました。なんと合格までかかった年数が全員10年以上!名づけて「TKP43」です。(タキプロTKP+4名の合計受験年数!)司会は多年度受験生のシャイニングスターhide_kingdomが務めさせていただきました。
それでは座談会をお楽しみください。
いやいや合格まで全員10年以上て!祝!
TKPよりもTND(多年度)ちゃいますか(笑)
ちなみに43は日本の県数と同じです。どんまい。
ハートをぽちっと合格祈願!↓
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目次
■まずは多年度生脱出&合格おめでとう!
hide_kingdom:まずは、多年度受験生活からの脱出と合格おめでとうの乾杯をしましょう。「カンパーイ♪」
全員:カンパーイ♪
ほんとTKPの皆さま良く頑張りました!読者のみなさんも一緒に乾杯!
■自己紹介
hide_kingdomです。住まいは東京です。職業はIT企業に勤めています。現在の職種はマーケティングですが、もともとは長年営業職をしていました。今から5年前にマーケティングにジョブチェンジし、当時住んでいた大阪から東京へ引っ越してきました。出身は名古屋です。趣味は野球観戦(読売ジャイアンツのファン)と勉強です。受験生活が長すぎたので、勉強がライフワークになってしまいました。よろしくお願いいたします。
ヤマフリです。住まいは静岡県です。生まれは東京都大田区で小学生までは東京に住んでいました。中学・高校は静岡県で、大学は神奈川でした。そして30歳過ぎてから静岡へUターンしました。僕の職業は地域で働く勤労者の皆様へ福利厚生サービスを提供する事業団体、簡単に言いますと市の外郭団体に勤めています。好きなスポーツは水泳で、高校までやっていました。その後マスターズという大会にも出ていました。家族は妻と猫1匹です。
さっとです。住まいは神戸です。生まれは大阪府高槻市で、25年いました。そこから転勤して東京に6年間いまして、神戸に戻ってきました。仕事は専門商社で技術営業をしています。取扱商材は、半導体検査装置です。趣味はスポーツ全般です。マラソンをしたり、昔はスノーボードをしていました。お笑いが好きで漫才をよく観ています。家族は妻1人、4歳の娘1人です。
わぎーさんです。住まいは神奈川県です。職業は元ファミリーレストランの店長で、今は同じ会社の工場で生産管理をしています。近況として、某専門誌で私の執筆した記事が載りました。家族は子供が2人いまして、9歳と5歳です。上の子がブレードボードをやっていますので、一緒に楽しんでいます。
■受験歴をお聞かせください
hide_kingdom:では、皆さんの中小企業試験の受験歴をお聞かせください。では、わぎーさんからお願いします。
私からでよいですか?負けませんよ~(笑)。2009年に1次試験を受けて始めました。2011年に初めて2次試験を受けました。11年間2次試験を受け続けまして、1次試験から通算で13年受験しています。ちょうどタキプロの歴史と一緒ですね(笑)。13年かかってやっと2次試験に合格いたしました。ちなみに1次試験は合計7回合格しています。
サーティーン!えらい最初からパンチきいとるな~
私は最初に受験したのが2011年で、初年度に1次試験に合格して、2次試験を受けましたがCBBAと不合格でした。翌年2次試験を再度受けましたが、事例II(芋焼酎)でD判定をとってしまいました。2013年は1次試験から再スタートでしたが、経済学がとても難しくて足切りを食らってしまいました。2014年、2015年は受験をお休みをしました。2016年から受験を再開しました。そこから今に至るのですが、1次試験を合計すると7回受けて5回合格、2次試験は7回受けて、今年ようやく合格しました。
最初に1次試験を受けたのは2011年です。最初の年は1科目のみ科目合格でした。翌年は4科目合格でした。その翌年に2科目合格して、初めて2次試験を受けました。事例IVは200%定率法が出ましたね。多年度生の皆さんにとってはよくご存じの問題かと思いますが、ストレート合格の方には「過去問でありましたね~」くらいの感覚かもしれません(笑)。1次試験は合計で11回受けて4回合格しています。2次試験は6回目で合格しました。
私は10年目で合格したので、数えると2012年に初めて受験したのかと思います。実は受験初年度は1次試験7科目全部不合格でした。2年目に財務会計と経営情報システムの2科目が科目合格、3年目に経営法務以外の残りが科目合格、4年目にようやく初めて1次試験を突破しました。その年の2次試験はABBCで総合B判定で不合格。翌年に2回目の2次試験を受けてAABDで総合B判定で不合格した。6年目から1次試験に戻ったのですが、実はここから1次試験を突破するのにまた4年かかってしまいました。ここは皆さんと違うところですね。。9年目に3回目の2次試験はCBABでまた総合B判定。10年目の2021年に4回目の2次試験でAACAの総合A判定でようやく合格できました。
私がつっこミン断士を目指したのは1999年で、初年度に3つっこ合格し…
■中小企業診断士を目指したきっかけは?
もうかれこれ10年くらい前の話になります。当時は営業の仕事をしていました。その中で営業の仕事だけでこのままいくのかな、という漠然とした不安がありました。お客様の気づかない経営面でのアドバイスもできたらよいかなと考えていました。そんな中、会社の先輩が中小企業診断士を受験していることを聞いて、まさにこれだ!と思い軽い感じで受験を始めました。受験を始めた時点での知識や実務経験については私はほぼ全くの素人同然でした。実務で使っていたのは企業経営理論を少し、程度でした。財務は全く実務経験なし、法務は少々、というほぼ全く何もない状態からスタートしています。実は受験1年目の前の年に簿記3級を受験するところから始めました。
私は地元で勤労者支援の仕事をしていますが、仕事の関係で地元の店主、中小企業の事業主と話をすることが多いです。他の観光地も同様かと思うのですが、数10年前から余暇の過ごし方の変化、パラダイムシフトを感じていました。以前は大型バスが何台もやってくる社員旅行や団体旅行がありました。ホテルに乗り付け、街へ繰り出し大量消費する、という形で発展してきた経緯があります。最近は、家族や友達といった小団体に変わってきまして、古き良き時代を知る70代くらいの経営者たちが、景気が悪くなったので大きな旅行がなくなったという言い方をします。観光がメインの街なので観光客が来なければ小売りもダメ、生鮮食品もダメ、飲食もダメとなります。どこの経営者も景気が悪くなったから、と言いますが自分はその考え方には違和感を感じていました。当時はコンサルの知識もないので、大変ですね~と話を聞くだけでしたが、もう少し実のあるアドバイスをしたいなと考えるようになりました。例えばそこで「財務諸表を見せてください」という話ができたりとか。それで中小企業診断士を目指し始めました。私のバックボーンは、大学時代情報学部で多少は経営情報システムとリンクする部分はありましたが、現在に活かされてはいません。20代のころからコンサルタントをやってみたいとはなんとなく思ってはいましたが、実務で中小企業診断士知識とリンクするところは無く、何かしらアドバンテージがあったわけではありません。ゼロベースから勉強を始めました。
3ダメは厳しいっすね(苦)
勤務先が中小企業の専門商社です。社会人としてこのままで大丈夫かなと考えていまして、転職を含め様々なチャンスを掴むなら中途半端な資格では意味がないので、国家資格くらい目指さないといけないかなと考えていました。たまたまWebで中小企業診断士を見つけました。受験資格がないというのもとっつきやすい点でした。私は元々エンジニアですが、周りにも技術者で経営の知識を持っている方は少なくて、技術+中小企業診断士の資格を持てれば社会的に役に立てるのではないかと考えました。ただ1つ失敗は、10年もかかってしまったことです。今は診断士の能力を活かし会社の中で貢献できればと考えています。
私は先ほどお話ししたようにレストランの店長をやっていました。30代半ばにさしかかり店に立ち続けるのもきつくなってきたかなと考えていたころに、転職を検討したことがあります。実際に転職活動をしてみて、自分の店の利益が出ているかどうかも分かっていないことに気づきました。うちの会社では店長に利益管理をさせていないのです。普通店長としてお店を切り盛りしていればいくらで仕入れていくら経費が掛かって、いくら利益が出ているかもわかると思いますが、全然分かっていませんでした。社内的には業績評価の指標はありますが…。実際のキャッシュフローはチェーン店の店長は誰もわかっていませんでした。このままでは転職どころではありません。何か始めなきゃということで資格取得を目指しました。実は私、中学生のころにアマチュア無線の免許を取ったのですが、一発で合格しました。悪いことにこれは国家試験なのです。国家試験はわりと簡単にとれると思ってしまったのですね。これが泥沼の入り口でした。受験校のサイトを見ながらいろいろな資格を比較しました。中でも中小企業診断士が一番楽しそうだと思ったので、チャレンジすることにしました。そのタイミングが3月か4月でした。予備校も検討しましたが教育訓練給付金を使えるコースが8月開講だったので、とりあえず独学でいくことにして、試験を申し込みました。何のバックボーンもない状態で、例えば財務では複式簿記すら知らない状態でした。かろうじて知っていたのは労働関連法規の8時間以上働いたら、残業代を割り増しで支払うことくらいでした。スピード問題集で企業経営理論と財務会計だけギリギリ1回転回したのですが、さっぱり分からずの状態での受験でしたが、なぜか運営管理が科目合格しました。次の年に財務会計、その次の年に1次試験科目の残りを受かって…みたいな感じでした。その後1次試験を何度か受けている中で知識をどんどん身に着けていき、会社での私の発言も変わってきたようです。そうしたら本部へ行かないかと言われ1年ちょっとくらい本部で情報システムの仕事をしました。そのあとは工場へ異動となりました。そうこうしているうちに10年以上経過しまして…。50歳直前で今から転職という感じでもなくなってしまいました。とはいえ、この会社で定年を迎えるのは嫌だと思っていまして、せっかく執筆の機会もいただきましたので60歳までには会社に依存しなくても暮らしていける力をつけていきたいと思っています。
■途中で受験を辞めようとは思わなかったですか?
途中で辞めなかった理由は、科目合格が常に残っていたからです(笑)。辞めるに辞めれませんでした。毎年必ず1次試験を受けて、1年おきに合格していました。2次試験の受験資格が常にありましたので、なんとなく合格に手が届きそうなところにはずっといました。確率的には6回受ければ1回くらい受かるだろうと考えていました(笑)。と思っていたら6回受けても受からず、7回、8回、、、と受験生活が続きました。辞めるに辞められなかったというのが正直な理由です。
途中で辞めたいと思わなかったのか?・・・やめたかったですね(笑)。最初2011年に1次試験に合格して2次試験に落ちて、2年目で2次試験に落ちて、3年目の1次試験で経済学で足切りをくらったときにもうやめようと思いました。時間がもったいないのと、体がしんどいなと思いました。やめようと思ったんですが、資格を持っていると持っていないではだいぶ違います。プロセスが大事だと言いつつも、結局は結果が大事だと。2年ちょっと期間を空けましたが、2016年にまた復活しまして、そこから1次試験は4年連続で合格したんですけど、そこでは辞めたいとは思いませんでした。ですが2次試験がどうしても受からなかったので、不満を持ちながら受験生を続けていました。
途中で辞めたいと思いました。10年間受験生活をやってきてて、同じモチベーションで受け続けられる人はいないと思います。何かしら山あり谷ありで受験生活を続けていると思います。多くの受験生と知り合いましたが、なぜか1次試験に簡単に受かる人がいます。そうすると毎年のように2次試験を受ける権利が生じます。でも僕はそういうタイプではなくて1次試験で苦労するタイプでした。11年の受験生活で1次試験を10回受けて4勝6敗でした。誤解していたことは一度知識が身に着けば1次試験はそんなに勉強しなくても受かると思ってしまったことです。しかし自分にはそのような適性はありませんでした。2017年から3年かけて1次試験に合格できなかった時には、もうやめようと思いました。この頃は惰性でやっていましたね。モチベーション下がりっぱなしの3年間でした。次だめならもう辞めようと思っていました。
実は1回も辞めたいと思ったことはありません。なぜかと言いますと、僕は効率的な勉強方法とかよりもモチベーション維持を一番大事に考えていました。とにかくモチベーションを0にしたら終わるので、何とか切らさないことのほうをよい勉強方法よりも重要視していました。それと、元々ゼロベースで始めたのでそんなに簡単には受からなないだろうという気持ちでやっていましたので、最初の年に1次試験7科目全部不合格という結果も、落胆せずに割と冷静に受け止めていました。普通はそこで適性がないと考えて辞めることを考えたかもしれませんが、僕は何故か「それ以下はないし来年受かればいいか」くらいに考えていました。当初はトータル4年くらいで受かればいいと考えていました。モチベーション維持に何をしたかというと、ブログにも書きましたがオフシーズンに関連資格を受けまくりました。診断士の受験生活をサンクコストにしないようにしようと考えました。野球のシーズンに例えたのですが、 春先から1次試験であれば8月までがオンシーズン。1次試験で敗退すれば、そこからオフシーズンに入るのですがキャンプインするまでに簿記2級を受けたり、オープン戦としてビジネスキャリア検定を3月頃に受けたりして1年を回していました。また、この試験を辞めたとして他に何やるの?と自分に問いかけました。何もしないくらいならば続けたほうがいいし、診断士よりも魅力的な目指したい資格がありませんでした。それは今でもありません。辞めても仕方ないし勉強を続けたかったのでやめることはしませんでした。
私もつっこミン断士の受験はやめたくなかったですね。シーズンインでオフキャンプして…
ってか、誰がミン断士やねん!診断士みたいに言うな(爆)
■何故なかなか受からなかったのか?だけど最後は何故受かったのか?
今まで受からなかった理由は過去問のやりこみが足らなかったから。去年受かった理由は「辞める」宣言をしたからだと思います。1次試験から通算13年目、2次試験に10回落ちましたという状況で、例えば自分の子供が、芸能界やお笑いの養成所とかに行きたいと言えば、「自分の人生だから行けばー」と言うと思うんです。でもそこでいつまでも開花せずに10年経っていたら「もうそろそろ諦めたら?」と言うと思ったんですね。自分に対しても「そろそろ諦めろよ」と言ってみたんですよ。自分の中で。さらに受験仲間にも「今年受からなかったら辞めるから」と言ったんですよ。ほんとはそんな気はさらさらなかったのですが(笑)。辞めると言った割には1次試験を保険受験してるんですけど(笑)。辞める宣言をしたのが合格した理由の1つだと思っています。それから何回受けても受からない理由を、1次試験との比較で考えました。1次試験は何回受けても受かるのに、2次試験は何回受けても落ちるのは何故?と考えたのです。1次試験は過去問以外の教材を使っていませんでした。だけど2次試験の過去問はたいして回していないと思いました。最後の年はゴリゴリに過去問を回しました。あと一緒に勉強していた友達がとても美しい答案を書いていました。こんなにきれいな文章書ける人と戦っていては、いくら1次試験の知識があっても受からないなと思いました。採点者に響くような美しい文章を書かなければいけないことに気づいたので、そこを直すところに力を入れましたね。タキプロのFacebook勉強会に参加させてもらいました。「文章の編集で困っているので、因果関係がきちんと書けているか見てください」と自分の答案をアップして皆さんに見てもらいました。これも合格に貢献したと思っています。
やはり2次試験でつまずいたことですね。何を勉強してよいのかわからない状態が続いたことと、元々バックボーンがなかったこと、理系出身のため文章を読むのが苦手なこと、などが原因でした。今では好きになりましたが、本を読むのも嫌いでした。数学、化学、物理は得意でしたが国語が苦手でした。それもあって2次試験の勉強を苦痛を味わいながらやっていたということもあると思います。事例IVだけはずっとAを取っていましたが、その他の問題はバラツキが大きかったですね。特に事例Ⅰがバラついていました。なかなかA評価が取れませんでした。そこで国語に苦手意識があったので設問から解答を予測することに徹しようとしました。あるYoutubeの動画を見たらそのようなことをおっしゃってる方がいて、設問を見ただけで解答を書ける!というのがヒントになりまして、最後の年はキーワードと切り口をほぼ全部覚えて、設問から解答が全部書けるようにしました。与件を見ずに解答を書けるレベルにもっていけたことが受かったきっかけかなと思います。
緑の人、アイコン若いけど実物はおじさんやで(笑)
僕の場合は1次試験は苦労しましたが、2次試験はわりとBが多い感じでした。さきほど、さっとさんが文章のセンスが足りないとお話しされていましたが、僕は逆に文章を書くのが好きで、あまり考えなくてもテーマを与えられれば長い文章が書けてしまうタイプです。国語も得意科目でした。文章自体はそんなに悪くなかったのかなと思っています。しかし先に合格した先輩診断士の方に自分の解答を見てもらったときに言われたのが「解答に知識の裏付けがない」ということでした。合格した年に、所属する勉強会でTBCのカリキュラムに沿って進めようという話になりまして。具体⇒抽象⇒具体という流れです。設問や与件に書かれていることは具体的な内容ですが、それを1次知識で抽象化し、そこから解答に戻すときにまた具体化するという流れがTBC方式です。その考えが自分にはハマりました。解答が思い付きというか知識をベースとしないものだったと反省し、合格した年は徹底的に2次試験で使う1次試験の知識を叩き込みました。ダンシ君のYoutubeを隙間時間にいやというほど見ました。合格した2021年は1次試験も受けましたが、運営管理、企業経営理論、財務会計の2次試験に関連する科目しか勉強しませんでした。その新鮮な知識を持ったまま2次試験を迎えようと考えました。結果合格できたということは、先輩がおっしゃった知識ベースの解答ではなかったというのは正しかったのかなと考えています。それぞれ皆さん課題があると思いますが自分の場合はそこでした。課題に気づかせてくれるきっかけがあって、それに適切な対策を取ることが、B⇒Aへ持っていく秘訣かなと思います。
僕は独学だったのですが勉強の仕方に何の工夫もなかったと思います。皆さんの書いたタキプロのブログを読んでいると、今頃気づきがいっぱいあるような感じです。自分が何をしてきたかというとTACのスピードテキストをひたすら読んで書き写して、スピ問解いて過去問解いて、それを延々ループしてました。工夫はありません。1次試験はそんな感じでした。2次試験についてはテキストを読み、ノートに書きだし、過去問を解いてふぞろいで答え合わせをする、という工夫がないことを千本ノックのようにやっていました。ただそれでもA評価がたまにあって、そんなに合格まで遠くないと感じていました。そんな勉強方法を3回も2次試験に落ちるまで続けていました。最後の年何故受かったのか?については、勉強法は相変わらず工夫のないやり方でしたが、何かを掴みかけた時期がありました。それまでは、特に事例Ⅲではふぞろいの10年ハンドブックの解答にあまり合わなかったのですが、繰り返していくうちに自分の解答の型ができつつあることを感じていました。事例IVについては合格した年は多めにやりましたね。過去問以外にも事例Ⅳの問題集を解きまくっていました。泥臭く体に覚えさせるやり方でした。試験当日の手ごたえはありませんでしたが、それでも過去問を13年分を何回も回してきたので、割と試験も落ち着いて受けられたと思います。何が良かったかというとわからないままですが何とか合格できました。
皆さん話が深い!マリアナ海溝くらい深すぎるやん(→なんそれ)
■おわりに
TKP43後編も、必見です!ぜひ見て下さい!
受験歴全員10年以上の多年度生の座談会はなかなか興味深いですね。ここまで本音を話してよいのかどうか。。
次回の「タキブロ+」は 多年度生座談会の後編です。引き続きお楽しみください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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